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この人、この時:歌手・加藤登紀子さん あしたを越えて
■夫の死−−私は「全部」になった
夫は自分で最期の時を決めました。
肝臓をがんに侵されたあとも「絶対に生きるぞ」と言い続けた。病状が悪化してからも、出会うべき人全員に会えるまで、病室で苦しくともがんばってくれた。
でも最期の日、寝返りではずれた酸素マスクをつけてあげようとしたら、夫はそれを止め、大きな声で言ったのです。「もう、いいだろう」と。
私は彼に何度もほおずりをしました。彼を抱きしめ、彼も私を抱き返してくれた。「あなた、よくがんばった。すてきだったわよ」とささやいたのを覚えています。
息をしない、という意思表示をし、最期の時を自分で決め、それを受け入れた夫の姿に私は本当に圧倒されました。
<間もなく取材が殺到し、登紀子さんはコメントを発表した。「2人の人生は今からまた別の形で始まる」と>
葬儀の準備で病院から自宅に戻る車の中、とっさに出たのがあの言葉でした。今でもよく、あんな言葉を書いたな、と驚いてしまう。だってあの言葉はこれまで、何度も私をかき立ててくれた。「始まりなんだ、これは始まりなんだ」と。
<始まったのは何だったのか>
あきらかに違う時間が私の中に流れ始めました。もしもリンゴ半分ずつが夫婦なら、片方がいなくなったことで、私は「全部」になった。彼がいない欠落感より、ほかにはもういない、すべて自分の中にある、自分が丸ごと自分になった、という感覚が生まれました。
それから私、生きていることが「途中」でなくなった。若いころの私は自分自身を「仮の姿」だと思っていた。どこか行くべき場所があって、その目的のために生きている「途中」だって。とりあえず生きているような感覚から逃れられなかった。
でも夫の死を目の当たりにして、分かった。人はどこか遠いところ、目的を目指すために生きているんじゃない。生まれた時からもうすべてなんだって。すべての時が「途中」なんかではないんです。【聞き手・小国綾子】
毎日新聞 2004年11月30日 東京夕刊
「ワイルドサイド〜」は「トランスフォーマー」に収録のその他12曲の1曲に過ぎない。私は他の曲以上にこれに思い入れを持ってはいなかった。というより私が本当に気に入っていたのは「ハンギン・ラウンド」だったんだ。これだから誰も私に耳を貸してはくれないわけだ・・・
人の耳に入ってさえいれば認めてもらえたはずなのに、という曲が私には多い。映画「トレインホッティング」のお陰か、世間は再びこの曲に気付き・・・・・(中略)・・・非常にきれいな曲を書いていたことを突如として悟った。